元気がでる名言(アインシュタイン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一見して人生には何の意味もない。

しかし一つの意味もないということはあり得ない。」

 

「大切なのは疑問を持ち続けることだ。

神聖な好奇心を失ってはならない。」

 

「天才とは努力する凡才のことである。」

 

アインシュタイン(出典:ウィキペディア)

 

1879年3月14日、アインシュタインはドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市のユダヤ人家庭に生まれる。翌年、一家はミュンヘンに引っ越し、父と叔父はその地で電気機器を製造する会社を設立した。アインシュタインが2歳のときに妹が生まれる。

 

アインシュタインは言葉を発することが少ない子どもだったという。5歳のときに父親からもらった方位磁針が自然界の仕組みに対して興味を持つきっかけとなる。その頃にヴァイオリンも習い始め、ヴァイオリンは生涯の友となった。

 

アインシュタインは9歳のときにピタゴラスの定理の存在を知り、自力で定理を証明。12歳のときに叔父からユークリッド幾何学の本をもらい独習。微分積分学もこの当時に独学で習得したという。また天文学の存在も知り、物理学にも関心を示すようになった。

 

17歳のときにスイスのチューリッヒ連邦工科大学へ入学し、物理学を専攻。アインシュタインは教師には反抗的で授業をよく休んだという。

 

1900年、21歳で工科大学を卒業。しかし大学の物理学部長と不仲であったために、大学の助手にはなれず、保険外交員、家庭教師のアルバイトなどをしながら論文の執筆に取り組む。

 

アインシュタインは22歳のときにスイス国籍を取得。翌年、スイス特許庁に就職し、好きな物理学に取り組む時間を得た。

 

24歳で結婚し、翌年には長男を授かる。

 

1905年、26歳のアインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する五つの重要な論文を立て続けに発表。しかし、バスの乗車中にベルンの時計台の針が不動に見えることから着想した「特殊相対性理論」は周囲の理解を得られなかった。

 

アインシュタインは30歳のときに特許局を辞職し、チューリッヒ大学の助教授となる。翌年にプラハ大学の教授となり、次男も誕生。33歳でチューリッヒ連邦工科大学の教授に就任した。

 

1913年、34歳のアインシュタインはプロイセン科学アカデミーの会員となり、一家はベルリンに移住。しかし不仲状態にあった妻は子どもを連れてチューリッヒに戻り、別居状態となる。

 

1916年、37歳のときに一般相対性理論を発表。この理論には星の重力により光が曲げられるという予言も含まれていた(後に実証される)。

 

1919年、40歳のアインシュタインは妻と離婚。いとこのエルザと再婚した。

 

1922年11月、日本に来日したアインシュタインは43日間滞在し、大正天皇に謁見。また、日本へ向かう最中、ノーベル物理学賞受賞の知らせを受けた。

 

1932年、アインシュタインはアメリカへ3度目の訪問をすべくドイツを発つ。しかし、翌年にはヒトラー率いるナチスが政権を獲得。ユダヤ人への迫害が日増しに激しくなり、その後アインシュタインがドイツに戻ることはなかった。

 

1939年、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト宛ての原子力とその軍事利用の可能性に触れた手紙に署名。

 

1940年、アインシュタインは61歳のときにアメリカ国籍を取得。1943年にアメリカ海軍省兵器局の顧問に就任。魚雷の起爆装置の改善に尽力。

 

1945年、広島市への原子爆弾投下報道に衝撃を受ける。アメリカは戦勝国となったが、アインシュタインは「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説。

 

1955年4月11日、核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名。同年4月13日、心臓付近の痛みに倒れ、入院するも手術を拒否。病院でも研究を続けるため用具を持って来るよう伝えていたが、1955年4月18日、アインシュタインは76年の生涯を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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