「人の仕事のうちで、いちばん大切なことは、後継者を得ることと、その仕事を引き継がせる時期を選ぶことである」
「事業の進歩発達に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である」
注釈:伊庭は57歳の若さで2代目総理事を引退し、石山に隠居した。
「人というものは、才能を信頼してやれば、その信用に応えようと、全知全能を発揮するものである」
伊庭貞剛(出典:ウィキペディア)
1月5日近江(滋賀県)生まれ。明治12年司法省から住友入りし、大阪本店支配人。
1890年、滋賀県選出初の衆議院議員。別子鉱業所支配人を経て、明治33年に住友総理事。
鉄剛への進出をはじめ、産業勃興期に住友財閥の基礎を築いた。
明治37年、57歳で隠退。79歳で没。